◉大崎市岩出山/護勢寺
おつなぎ地蔵
平成24年3月11日、岩手・宮城・福島の地方紙が合同で、震災からの1年間に亡くなった、あるいは身元の判明した方々約1万8︐000名の名簿を新聞に掲載した。犠牲者は東北一円から東京にまで及ぶ。その方々おひとりおひとりの名前を約1年かけて書き写し、亡くなった方々の過去帳を作った。1行ずつ名前を書くことが供養だった。毎月11日には各ページから1名ずつ名前を読み上げるが、それでも1時間くらいかかる。その時間に失われた命の多さを実感する。
境内にあった「子守り地蔵」は、元々そこにあった池で3歳の時に命を落とした住職の弟と、幼くして亡くなった檀家の子どもたちのために建てられた。地震で境内の様々なものが壊れ「子守り地蔵」も倒れたが、肩から後方の柱にぶつかったため、首が折れることを免れた。新たに「おつなぎ地蔵」としてお堂を再建し、お参りする方がお地蔵さまの頭や肩を撫でられるよう周囲に階段を付けた。子どもを抱いたお地蔵さまは、ピエタ(聖母子像)のように優しく微笑んでいる。「おつなぎ地蔵」の分身約50体は、大川小学校で命を落とした子どもたちの親御さんに贈られた。
お寺のある地区は、65歳以上が6割の限界集落だ。過疎化のスピードは驚くほど速く、大規模半壊になった寺をこのままにしておけば、この地域が地図から消えてしまうと感じ、本堂を修繕した。神戸から来た保険会社の担当者は、お寺を再建することがどれほど大変なことかよくわかっていた。阪神・淡路大震災の体験が、ここにも生かされた。