◉釜石市/石應禅寺
東日本大震災檀信徒慰霊碑
震災の年の4月に入ってから葬儀が始まり、9月いっぱいまでかかった。亡くなった檀家は240名。あまりにも人数が多く、お名前をきちんと読める大きさにするため、左右に分けるかたちでふたつの慰霊碑を建立した。
近くにある釜石市役所も1階に津波がきた。石應禅寺も山門のあたり、ちょうど慰霊碑が建っているところまで水が来た。避難所ではなかったが、70~80名の檀家の方々が避難していた。米が足りず、寺に勤めていた方が遠野のお寺を回って米を集め、薄粥を作ってみんなで何日かをしのいだ。ガスがなかなか復旧しなかったため、炊き出しは6月の初めまで続いた。釜石は新日鉄の関係で北九州市と懇意にしていたことから、震災4日目には北九州の医療団、その数日後には神戸の医療団が入り、寺の部屋を診療所にしていた。
曹洞宗の青年会もすぐ援助に入り、火葬場に詰めての読経や瓦礫の撤去に携わった。今でも青森と北海道から定期的に訪れ、法要などに加わってくれているという。釜石にはそれまで仏教会がなかったが、震災を機に会を作り、今は七回忌の法要をどうするかみんなで話し合っている。岩手は平成28年8月末にも台風10号で岩泉町が大きな被害を受けた。不幸な経験ではあるが、自分が当事者になったことを、援助に入ってくれた仲間のように次に生かしていければいいと考えている。
そして、釜石と言えばラグビーだ。平成31年のワールドカップが、すこしでも復興の力になればと思っている。