◉相馬市/円応寺
東日本大震災被災物故者供養塔
東日本大震災被災物故者供養塔第15番建立寺院
沿岸部の檀家は少なかったが、それでも6名が犠牲になった。相馬市は震度6強だったため、本堂も半壊になり墓も3分の1が倒れたが、今は修復を終えている。震災直後に鶴岡の親戚に両親を避難させることになったが、そこまで往復するとガソリンが間に合わず、山形県飯豊町の知人のところまで送り届け、ここに戻ってきた。さらに寺の片づけを始めようとしたところに原発の事故が起きた。相馬市でも市民の約3分の1が避難した。ようやく落ち着いてから、墓の修復をどうするか東京の檀家と連絡を取るなど1年くらい慌ただしい状態が続いた。
東京の檀家が法事などでこちらに来ると、地元の天気予報のあとに各地の放射線量が出るので「まだこうなのか」と驚く方がいる。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ではないが、ずっと伝えて行かなければならないと思う。このあたりは津波が少ない地域なので、津波で亡くなった人は、一度避難してから戻った人が多かった。止めれば良かったと後悔している人もたくさんいる。いつどこで何があってもおかしくない場所で私たちは暮らしている。自分に何かあったらどうするかということは、他人任せにしないことが大切だ。最後は自分の判断なのだと、つくづく思った。それが今回の震災の教訓だと思っている。