◉南相馬市
八沢地区慰霊碑
相馬市と南相馬市にまたがる八沢浦の干拓は、明治40年から昭和初期にかけて行われた。その干拓地がすべて海になっていた。八沢干拓排水機場のそばにあった山田神社も流出し、現在神社と慰霊碑が建っている高台は避難場所に指定されていたが、津波はここをも呑み込んだ。八沢地区は現在、家の土台も撤去され、かさ上げと堤防工事が進められている。
高台まで波のとどろきが聞こえてくる。八沢地区では65名の方々が命を落とした。帰る家も無くなってしまった御霊を慰めたいとの思いから、せめてここを目印に帰れるようにと八沢地区の北海老集落の方が聖観世音菩薩像を建立した。
山田神社は、熊本県の球磨工業高校伝統建築専攻科の生徒たちが寄贈した鳥居と仮社殿を、昭和16年に元々山田神社が建立されていた高台に置いた。集落はなくなったが、約200軒の氏子の方々とここで三年祭を行うことが出来た。その後日本財団の支援で本格的な社殿を再建し、平成28年9月に完工遷座祭が行われた。寄贈された仮社殿も、新しい本殿のなかに納められている。東北と熊本の絆がここにある。