◉相馬郡新地町/法輪寺
東日本大震災被災物故者供養塔
東日本大震災被災物故者供養塔第13番建立寺院
相馬のこの周辺は、内陸4㎞くらいまで津波が押し寄せたが、法輪寺のある駒ヶ嶺は沿岸に火力発電所がある。そのため防波堤が二重三重になっており、この地区で家が流されて亡くなった人はいなかった。しかしながら檀家が4名亡くなっており、そのうち2名は自動車学校のバスに乗って流された18歳の子どもたちだった。
地震の直後、町の人たちが高台になっている寺に避難してきた。防災無線では逐次、津波がどこまで来たかの情報が鳴り響いていた。波が国道6号線を越えたという放送を聞いて、これは大変なことになったと思ったことを覚えている。寺は2~3日の間避難所になったが、幸い電気も止まることなく寒い思いはしなかった。
震災後、寺は近隣の学校や保育園・幼稚園の避難場所になった。以前は寺の下の場所だったが、震災を機に見直された。地震の前の晩は、集まりがあって住職も浜のほうにいたので、もしその時に地震が起きていたら、停電のなか逃げられなかったのではないかと感じている。人の寿命は本当にわからない。避難所もひとつに固定しないで、様々な場面を想定しなければ、いざという時に役に立たないのではないかと思っている。