◉下閉伊郡山田町/龍昌寺
東日本大震災物故者慰霊之塔
津波は、山門下の階段三段目まで来ていた。地震発生当時気仙沼にいた住職は、内陸側を通って山田町に帰る途中、越喜来の高台から津波を見た。どーんと水が来て、引いて行ったらあとには何もない。その記憶は白黒の映画のようだという。龍昌寺のある山田地区は火災が酷かった。その夜、寺には80人強の住民が避難していたが、火の粉が飛んできて危険になったため、さらに約7㎞内陸にある豊間根(とよまね)まで避難した。津波からせっかく助かったのに、火災で命を落とした人もいた。
境内には、明治と昭和の大津波の石碑もある。しかし、あれほどの大津波だったにもかかわらず、年月が経てば必ず風化してしまう。そうであるなら、やがて文字が消えて何かわからなくなってしまう石板よりも、記憶を風化させないだけでなく、ずっと手を合わせて拝まれるものがいい。その願いが、高さ70㎝の聖観音像を六角堂に安置した慰霊碑になった。下には亡くなられた方々の名簿と、全国から集まった般若心経の写経が入っている。慰霊碑に刻まれた名前は258名(平成27年3月31日現在)。それはまだ、行方不明になっている方々すべてではない。
観音像の隣に、この津波で見つかったというお地蔵さまがあった。その手には、お茶碗としゃもじが握られている。昔この地で暮らした名もなき誰かの願いは、確かに胸に伝わってくる。