◉陸前高田市/光照寺
ののさまの陸前高田駅
ドラゴンレール大船渡線の陸前高田駅は津波で被災し、今はBRTの駅に代わってしまった。学生時代の思い出がある。夜遅くなって帰って来ると、母親が待っていてくれた。見送られる空間であり、出迎えを受ける空間であった駅舎は、高田に住むものにとっては心のよりどころともなっていた施設だった。だから慰霊施設を造ることにしたとき、思い出したくないことを思い出したり、長時間居たくないと感じるような慰霊碑よりも、津波で姿を消した陸前高田駅を模したものを造ろうと考えた。元々の駅舎が北向きだったから、ここも北向きに立っている。
「ののさま」とは、仏様のこと。駅舎内の天井画は住職の手によるものだ。お地蔵さまや、私たちがこの世に生まれてから、再び電車に乗って旅立つまでが、優しく明るい色使いと言葉でまとめられている。伝えたかったのは「無常」の流れのなかにあっての命のつながりや、そのかけがえのなさ。慰霊で終わるのではなく、そこからまた生きている私たちとつながっていくものにしたかったとのこと。それに駅舎の慰霊施設なら、時代が変わっても忘れられないに違いない。
「風化」ということがよく言われる。高田のことを忘れないで欲しいというのは、これからも支援して欲しいということではない。大きな災害が起こって、こういった状況はほかの場所でも起きるかもしれない。そのことを他人事ではなく、自分の身に起こるかもしれないこととして覚えておいて欲しいということなのだ。